シンガポールスリング2

事務所につくと早速あたしは言った。
「ねえ、ディリーどう? 出てきた?」
答えはNo。
マネージャーのヴィヴィアンは首を横に振った。
「ああ、でもね、あたし……代わってほしいんだけど」
ボソッと言ってみる。
「どうして?」
「ちょっとね……。もめそうなのよ」
「やあね、マサエ、あなたが?」
そうよ、もういやなのよ、新婚さん……。
て言いたいのをガマンしてあれこれこじつけるけど、ヴィヴィアンは首を縦に振らなかった。

「マサエ、頼むわよ、いいじゃない、日本人でしょ?」
こんな小さな代理店じゃわがまま言えないわ……。
あたしはあきらめて家に帰る。
街路樹として植えられたブーゲンビリアが野生化して年中咲き乱れてる道……。
季節感ないわね、ったく。
ああ、もう3年かぁ……。
早いのか長いのか、とにかく必死だった、この3年。
涼介と別れて……。
仕事辞めて……。
些細な、よくあることだったのかもしれない。
でもあのときのあたしには許せない出来事だった。
アイツは、あたしとの約束をすっぽかして他の女の子と会っていたのだ。
その現場を目撃して、あたしはかっとなって叫んだ。
「もう別れるっ!」
涼介は、丁度さっきみたいにびっくりした顔をしていた。
それが最後……。
悪いことが重なったのだ。
仕事と恋。
あたし、あたしは東京の大手旅行代理店で働いていた。
入社してずっと海外旅行担当、5年目でリーダーになり(給料は変わんないけど)、やる気になっていたあたしは店頭から本社の商品企画に転属希望を出していた。
それが……。
毎回へんてこな異動に驚かされてはいたけど、まさか自分が国内旅行、それも審査に回されるなんて……!
あたしはショックだった。
今まで急な人事異動で悩み泣いてる同僚を見てきたけど、そこに自分を当てはめたくなかった。
恋に破れ、仕事にも落胆させられ、あたしは逃げ場を探した。
遠ければ遠いほどいい。
香港フリークだったあたしはメールで香港の知り合いにコンタクトを取り、彼女からシンガポールの旅行代理店を紹介してもらってここに来た。
香港だとすぐに居所がばれる……。
そう思ったからだ。
とんでもないうぬぼれだけど、あたしは隠れてしまいたかった。
そして、自分の力を試してみたかった。
シンガポールはあたしにとっては未知の地だったけどヴィヴィアンはじめみんないい人だった。
でも英語、広東語がちょろちょろ喋れるくらいじゃ認めてはもらえない。
彼女に保証人になってもらってビザを延長し、しばらくアシスタントガイドとしての日々が続いた。
そしてやっと今年、正式なガイドの資格が取れたのだ。
「あぁ~」
あたしは部屋のソファに座った。
頭の中は涼介の顔でいっぱい。
いきがっててもこんなもんよ。
彼女、かわいかったなあ……。
あのときの子じゃないよね?
いいなぁ、新婚さん、ラッフルズホテルで初夜、か……。
あぁぁ……、きゃ、ダメ、想像したくないっ。
あたしは、何だか無性に人(男?)に会いたくなって、携帯を取り出した。





ボーイフレンドのロジャーを呼び出してリバーサイドのレストランで夕食を済ませ、よく行くラウンジへ顔出すと、知った日本人の女の子が踊ってたので合流した。
ロジャーはオージー、女の子もみんなこっちの現地採用組だ。
シンガポールでは女性が働くのが当たり前で、政府も企業も女性の雇用案内窓口がいっぱいある。
あたしはこっちへ来て知ったのだけれど、ここの女性には結婚したら仕事辞めて専業主婦って言う概念がないらしい。
かといってみんなバリバリのキャリアウーマンっかっていうとそんなこともなくて、例えば『SEX AND THE CITY』のキャリーみたいに男をセックスの対象として仕事のついでみたいに考えてる女性はホント少数だ。
女性も男性も真面目に結婚のこと考えてて、あくまでも暮らしのための就労なのよね。
ある意味自然な、ほぼ完全な男女平等国家なのだ。
日本みたいに乱れた性事情、不倫やセクハラ、二股三股……なんてのに心を煩わされる心配がまずない(セクハラがないわけじゃないけど)。
ここへ来るまで知らなかった、思ってもみなかったことだけど、この3年間何よりもそれがあたしの心を和らげてくれた。
あたしは恋愛をするためにここに来たんじゃない。
だからロジャーとも純粋に友達関係を保っている。
彼はシティ近くの1000ドルクラスのコンドミニアムに友人とシェアして住んでいて、今新しい事業をはじめようとしている所だ。
インターネットビジネスで、あたしも参加しないかって声かけられている。
3年前から約半年ビビアンの公団住宅にシェアさせてもらった後彼女の紹介で今の小さな部屋に移り、そろそろロジャー並みの部屋に引っ越したいと思っていたあたしは彼と会うと割と真剣にビジネスの話をするの(真面目でしょ?)。
そんな時にアイツに出くわすなんてね、神様に試されてるとしか思えないわ。
「ああ、丁度転機なのよね、何もかも重なる時期ってあるわ、確かに……」
あたしは仕事に残らない程度にお酒を飲み、0時前に家に戻った。

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