シンガポールスリング5

あたしは昼食に出るといって事務所を出た。
心の中はすっごい焦ってる。
……待ってる。
一番近いホテルのロビーに素早く入る。
ソファに腰掛けてると電話が鳴った。
震えそうな手を押さえてボタンを押す。
「……はい」
『マエ。マエ、なんだよな』
あああ、懐かしい声……。
さっきとはうってかわってじわっと涙が出そうになる。
『マエ……。夢みたいだ。もうオレさ、ホントにびっくりしちゃってさ。でも喋りかけようにもお前何かよそよそしいし、ひょっとして記憶喪失なんかな? とか思っててさ……』
ぷっと心の中で吹き出すあたし。
涼介と電話で喋ってるなんて。
じわわわ~んとやっぱ感激。
バリなんて飛行機で2時間半の距離だから日本でいう国内感覚なのよ。
でも日本の携帯は使えないからホテルの電話からなんだろうな。
光景を思い浮かべてみたりして。
今一人で部屋にいるの? 涼介……。
『すっげぇ探したんだぜ、オレ。信じてもらえないかもしれないけど。お前の実家にも聞いてみたり……。うさんくさがられてな』
ふふ、あたしが口止めしたからよ、絶対誰にも言うなって。
親にもあたしの住所までは教えてない。
『それがまさかシンガポールで会うなんて……。オレまだ信じらんないよ』
相変わらずの彼の口調にあたしはつい前の自分に戻って口を開いた。
「……うふふ。もう慰めてくれなくて結構よ。いいの? こんなことして奥さんに見つかったら大変よ」
『は? 奥さん? なんで?』
彼は妙にひっくり返った声を出した。
「なんでって……。奥さんだからよ」
あたしの言葉も何か変だ。
『つーか、奥さん? お前、何か勘違いしてない?』
「え?」
『オレ、結婚なんてしてねーけど』
「え? だって、ハネムーン……」
『ああ、そう、コースはな』
意外な話の展開に胸の奥がトクトク鳴り始める。
『バリのホテルと日程が合うのこれしかなくって、あいつが勝手に申し込んだんだよ。どうしてもオベロイに泊まりたいって。別に新婚なんかじゃないよ。カウンターの人も知ってるはずだけどな』
そ、そうなの?
そういえば資料よく見てなかった……。
胸はどんどん高鳴る。
「じゃ、じゃ、今は何を……」
『あいつ? さあ、クタのビーチにいるんじゃねえの? 昨夜もいつ戻ってきたんだか知らねーよ』
……何よそれ。
「あ、あの……。っと、彼女、ってわけ?」
言葉を選んであたしは尋ねた。
『いや。あいつはバリでリゾートしたくって、オレはちょっと篭りたかったからよ~。まあ目的は違うんだけど場所とスケジュールが一致したと言うか。それだけだよ』
「そ、そんな……」
『はは、リゾートって言うか、はっきり言って男あさりだけどな。ふふふ。女一人じゃツアーも申し込めねーて言うし、便宜上組んだのさ。誤解しないでくれよ、マエ。あいつとはやってないからさ』
……そういうノリがいやなのよ。
あたしは誰と向かってるでもなく顔をしかめた。
信じられないわ、同じ部屋に泊まってて……。
しかもオベロイよ?
でも……。
あたしの胸は勝手にドキドキはじめてしまった。
『怒ってるんだ、オレのこと』
当たり前でしょ。
死ぬほど泣いたんだから。
『よくわからないけどオレが原因ならあやまる。ごめん』
もう、時効よ。
『オレ、気をつけるよ』
何をよ。
『もう離れたくないんだ。お前がいなくなってオレ、身にしみたよ。そりゃ、この3年、潔白だったとは言い切れないけどさ……。マエとは本気で付き合ってたもん』
ふふ、信じるも信じないもあたしも身にしみたわよ。
涼介が好きだって。
『マエ。今言ってることは嘘じゃない。オレまたお前に会いに行くから。今度はちゃんと話をしてくれるな?』
調子よく話を進める涼介にあたしはうんうん頷いて、いつしか涙がこぼれていた。
やだもう……。
あたしってすごいバカ。
一人で切り切り舞いして、それこそくさいドラマのヒロインじゃないの、ダサ……。
『マエ、好きだよ』
彼は受話器を離す瞬間、ちゅってキスをした。
あたしはよく考えたらふたことみことしか喋ってなくて……。
もう涙で濡れまくっていた。
昨日とは正反対の嬉し涙……。
嬉しくって、自分が滑稽で、胸がいっぱいで、とても昼食なんて入りそうになかった。
「何なのよ、もう……。バカ」





それから数日後の夕方、言葉どおり涼介はシンガポールへと戻ってきた。
彼女をバリヘ残して……(いいのかしら?)。
到着便のアナウンスがあり、あたしはロビーで彼を出迎える。
彼だけを……。
「マエ!」
彼はあたしに向かって走ってきた。
あたしも走り寄って抱き合った。
あったかい胸……。
嬉しくて胸の奥がぷるぷる震えた。
ドラマチック。
だけど周りにも抱き合ってる人たちはいっぱいいる。
「マエ、マエ……」
その人たちに混じってあたし達も長いことそうしていた。
「どこへ行きたい? どこでも案内するわよ」
そっと顔を上げてあたしは言った。
「マエの部屋」
涼介は恥ずかしげもなく笑ってリクエストした。
「も……。行き当たりばったりね。帰国のご予定は?」
わざと意地悪く言うと彼はちょっと真面目な顔になった。
「実はオレさ、仕事辞めたんだ」
「え?」
「へへ、くじで小金当ててさ。それで思い切って辞めたんだ。サラリーマンなんて柄じゃないし。ちょっとした資金くらいにはなる。そんな時にお前に会うなんて運命的だな」
「く、くじって」
あたしは驚いた。
「何となく篭ってみたくなって旅に出たけど……。シンガポールって中々よさそうだな。オレもここに住もうかな、タバコ吸うのがちょっと気まずいだけだよな」
「えっ?」
涼介ってば、相変わらずのスマートさだ。
そう、そういう人だから女の子が放っておかないの。
わかっていたはずなのに……。
ぐちぐちしていた自分がとてつもなく小さく見える。    
かなわない……。
あたしは嬉しいのと切ないのとで胸がキューッとよじれるのを感じた。




レストランで食事後あたしたちはラッフルズのバーに行った。
いつもお客を案内していただけのバー。
ここにあたしが客として、涼介と並んで入るなんて夢にも思わなかった。
重厚なカウンター席に座り、涼介はシンガポールスリングをオーダーして言った。
「ここのシンガポールスリングってさっぱりしてるよな。この間飲んで味違うから聞いてみたらここだけのオリジナルなんだってな」
「え、そうなんだ?」
あたしがとぼけると涼介は呆れた顔をした。
「何言ってんだ、お前。ガイドのくせに」
フフ、実は飲んだことないのよね。
周りの子も飲まないし……。
お客さんに味まで聞かれないもの。
「ここが発祥なんだろ。違ったっけ?」
涼介はあたしのおでこをこつって軽く叩いた。
あたしはおかしくて笑いこけてしまった。
涙出そうなくらい……。
3年間の思いがこみあげてきちゃって。
やだよ、もう。
あたし、一体何のためにシンガポールへ来たの?
3年間の苦労もこの数日でくしゃくしゃにつぶれちゃった。
何も逃げ出すことなんてなかったんだ、バカみたい……。
……いいえ。
逆に言えばここに来なければ本当の自分に出会えなかったってことだ。
再会は神様が与えてくれた気まぐれなチャンス。
絡み合ったあげく辿り着いた本当の自分……。
シンガポールに来なければ、あのまま東京にいたならば、見えなかっただろう。
……そんなものなのかな。
彼はどうだか知らないけど。
「かんぱい、マエ」
生まれて初めて飲んだシンガポールスリングは、彼の言葉どおりとてもさっぱりしていた。

Comments

  1. Anonymous21/1/12

    ステキなお話、ありがとうございました。
    私だったら、入れ込んでいる彼氏が別の女の子と一緒にいてもショックを受けるだけで、「分かれる」ってその場で言える潔さはないですね。悶々としつつ彼氏とズルズル続ける方が実はもっと深く傷ついてしまうんですけどネ。
    蛇足ですが、「運命的ね」と言いたいとき、It's a destiny.がうまく当てはまるかもしれません。fatalは「致命的」(致命傷など)の意味で使われることがほとんどかと。言いお話しなのにケチをつけてしまってスミマセン。
    このサイトのホンワカ胸キュンが大好きです!

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  2. Anonymous21/1/12

    > 言いお話し
    「いいお話」でした。お許しを! さくら

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  3. シナモン22/1/12

    さくらさま
    ご指摘ありがとうございました。早速訂正しました。><
    読んでくださってどうもありがとうございます。
    困った男ですよね~。どうしてこんなんばっか登場させてしまうのでしょう。^^;ヒロインの方もえらいばっさり切ってしまいましたよね。
    まあそこに行き着くまで色々あったと思われますが、私の力不足です・・どうもしっとりした描写が苦手・・。今現在もそれが悩みの種でございます。
    ご意見とても参考になりました。これからもどうぞよろしくお願いします。

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  4. Anonymous24/1/12

    シナモンさんの書かれるキャラもストーリーも、みんな大好きです~!
    特にすごいなと思うのは業界知識というか、特殊な職場の様子とか、トリビアというか、とても具体的に書かれていて、読みながら勉強(?)できてしまうところかもしれません。
    つまらないケチをつけてしまってお許しを…。
    これからもどうぞよろしくお願いいたします。
    さくら

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  5. シナモン25/1/12

    さくらさま
    とんでもないです!特にネットで読む小説はそれぞれの方がよくご存知の業界というか職種とか細く描写されてて、リアリティがすごいですよね・・。私なぞ本当に知識不足でお恥ずかしい限りです・・。どうぞこれからもアドバイスよろしくお願いします。

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