タイムリミット5

  アガツマ建築デザイン事務所。一級建築士の吾妻所長(42歳。男。既婚)の下、私は主に店舗内装を担当している。この不況でかえって店舗の入れ替えが激しく、尚且つ予算を値切る客が多く、熾烈な戦いに勝ち抜くためには根性も体力もなければやっていけない。ヒールでつかつか、なんて気取れるのはせいぜい説明の時くらいで、普段はもっぱらジーンズ(しかもGAP)に履き古しのミュールって格好で頭くしゃくしゃにしながら図面引いたり、工務店のおじちゃん連中と一緒に角材相手に格闘してる。
 ああ、これが本来の私の姿よ。くたびれたデニムに染みの目立つよれよれシャツ。数ヵ月後にはカフェへと変貌する現場に私はいる。新築工事ではなく中古物件のリフォームだ。これがまたすごいのよね。ちょいと壁をはがしてみれば断熱材入ってなかったり、今じゃ禁止されてる建材がお目見えしたり。
 まあ、今回のブツはまだマシな方だ。予算キツキツなのにやたらオサレにこだわるクライアントが厄介と言えば厄介だが。

「九鬼ちゃ~ん、お客様」
「はい~」

 配線の確認中、土建屋のおっさんに呼ばれて外に出ると、そこにはなんと、例の彼が立っていた。きちんとスーツ姿で。ビジネスモード。

「えっ!」

 まさか。まさ……ゆめ?

 私は目を疑った。驚いて挨拶するのも忘れてる私に彼は言った。

「こんにちは。お仕事中申し訳ありません。先日、お忘れになった靴をお届けに伺ったのですが」

 ――え? 靴?

「こ、こんにちは」

 慌ててやっと私は頭を下げた。どうしてここが?

「申し訳ありません、あなたのことが気になって、コンサルタントに聞いてしまいました。ご勤務先に連絡したらこちらを教えていただいて。あの日、お気に障ったようでしたら謝ります」
「と、とんでもない」

 私の態度のこと言ってるのね。正しく言うと気に障るのではなく、あんなパーティで男を探してるなんて思われたくない、って話なのだが。てか、所長か~? 何で現場なんて教えるの~。

「ちょうどこの辺りに来る便があったものですから。それで、この靴、どうしようかと迷ったのですが、お気に入りだったとおっしゃっていたのが妙に気にかかって」

 と言って彼はすっと靴箱を差し出した。開けると包み紙の中に新品同様に再生された私の靴が。ぴっかぴかに磨かれて。ヒールも元通り。シルバーのラメがきらきら光を反射する。
 マジ? で、でかい……。

「ま、まあ、すみません。どうしましょ、おいくらでしたかしら。すぐにお支払いいたします」

 何言ってるの、私。いいえ。ここからコンビニすぐだもの。現金ダッシュよ。

「まさか! 僕のせいでもあります。気になさらないでください」

 ええー。なんかこれって。

「シンデレラのようですね」

 彼は感じよく笑った。

「ま。お上手ですね」

 上手いこと言うわね。私も一瞬思ったけど。でもそこで真に受けないのが私だったりする。

「……随分と賞味期限の切れた、と付け加えておきますわ。フフフ。年甲斐もなくお見苦しいところをお見せして本当に申し訳ありませんでした」
「いいえ。そんなことは……。そういえばあの時も同じようなことを言われてましたね。失礼ですが、お年はおいくつなんですか」

 ま。女に年を聞くなんて。

「……僕は29です」

 黙っていると、察したのか彼が先に名乗った。

「28です。今年なりました」
「そうですか。近いですね」

 彼は再びにっこり微笑んだ。そして、

「あの、こういうところで言いにくいのですが、一度食事にでも行きませんか?」
「え?」

 これってやっぱお誘いなの? どきどきしつつも、私は岡路のようにおもむろに舞い上がれない。金持ちそうだし、見た目素敵な人ではあるけれども。

「え、ええ。いいんでしょうか。私、靴までそのぅ……」
「それはもう忘れてください。本当は今の話がしたくて来たんですから。あ、仕事のついでと言うのは本当ですが」

 え~。焦る私。すんなり「はい」って出て来ないのはこれまでの経験によるところ。男よりも男らしい女だとかさんざん言われてここまで来ましたもの。
 だがしかし。

「携帯の番号教えていただけませんか。後ほど連絡します」

 彼は極めてスムーズに私の携帯番号をゲットするに至った。

「それじゃ、また」

 そう言って去って行った彼の姿をさりげなく見送ると。彼は道に待たせていた高級車に乗り込んだ。
 お金持ちっていうのはどうやら間違いじゃなさそう。
 あ、いけない、ちゃっかりチェックしてるわ、わたしったら。……やめとこ、と振り返ると、私と同じ事をしていた人物に気が付いた。

「へ~。今の人。先輩の何ですか? お客さんじゃなさそう」
「……見てたわね」

 後輩の楠原くんだ。

「いいの。詮索は禁止よ」
「てことは完全プライベートなお知り合いですね? もしかして新しい彼氏?」

 ム。若い子って話が勝手に進むのよね。私は無視して現場に戻った。そこまで軽い子じゃないけど、今時の子には違いない。髪短くてちょびっと体育会系だろうか。顔は、まあ普通。

『先輩と付き合うのって何か根性試されそうですよね~』

 まだ何か言いたそうな、意地悪そうに笑う彼の顔を見てると、ふと以前楠原くんに言われた言葉が頭をよぎった。

『喧嘩になったときマジ悲惨なことになりそー』

 そんなことも言われたっけ。和○アキコか、私は。そういうことをズケズケ言われるってことからして日本はデカイ女に冷たい国だとつくづく思うわ。

『こわいっすよねー。九州弁なんかでまくしたてられると。一気にひいちゃいますよ』

 極めつけはこれだ。どうも酒の席でお国言葉を連発しちゃうらしいの、私。地元じゃ全然普通だと思うんだけど。東京じゃやっぱ、受け入れられんけん……。

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